2015年4月26日日曜日

諦めることを諦めた

この言葉を読んだときなぜかすごく心に響きました。っていきなり言われても伝わりませんよね。そりゃそうです,自分がこの言葉を呼んだ時のコンテキストは,みなさんとは共有できていないから。こう,自分のアイディアや感覚を相手に伝えるときの前後の文脈というかコンテキストというか,をうまく言葉にできるかどうかってすごい重要だと思うんですが,これが難しく感じるんです。やはり,訓練あるのみでしょうか。まずは言葉の前にどうにかして伝えることをしないと,厳しい気がします。言葉というのは,一段上のツールというか,そういうものな気がしているからです。

単に言い方が違うだけで、こんなにも言葉の強さって変わるものかと関心した。結局は,欲深い人間。諦められるわけがないんだよ!というメッセージかどうかはわかりませんが,少なくとも自分にはそう聞こえました。

私がもっとも尊敬する国際的な障害者リーダーの1人、モンティアン・ブンタン(現タイ上院議員・全盲)は、「知識は共有されなければ意味がない」と会議の度に言っておりました。情報から隔離されやすい視覚障害者だからこそ、知識や情報に対する欲求が人一倍強い彼は、兎に角、情報にアクセスできなければ何も始まらないと考えています。途上国の障害者の情報を少しでも発信し、なにかの活動の「きっかけ」になれば幸いです。
I have given up on giving up. (諦める事を諦めた)
引用元:http://www.adinfo.jp/aboutus.html

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