My Cycle Biography : 自分の自転車の歴史とか

はじめに

こういうの書く時って最初に中身よりもどういうデザインにするか外見から考えてしまいます。自分の癖です。でも今回は,中身から作っていこうと思います。で,そもそも何故こういう文章をつくろうかと思ったのかというと,自分の趣味ってなんだろうと見つめなおす機会があって,やっぱり自転車くらいしか無いなと思ったからです。そして,外国人に趣味を伝える機会もあって,外国人からするとはっきりいって,趣味というか単にちょっとだけ興味があるようにしか聞こえないらしく,それならば,自慢できることをまずは書いてみようと思ったのです。

自分の性格上,このような文章をちょっとずつ書いていくということはできない質(たち)なので,一気に書き上げたいと思います。あ,でも昔の写真とかあとからアップしたいなぁと思ったり。実家にいる弟に撮って送ってもらおうかなと思ったり。でもお願いしたら,見返り請求されるだろうなぁとも思ったり。え,あ,はい,とりあえず自分の自転車の歴史・経験談を書きなぐりたいと思います。

幼稚園時代

幼稚園に通っていました。日本の九州の西のはずれにある田舎の幼稚園です。断片的な記憶しかありませんが,休み時間になると,全力ダッシュで,駐輪してある三輪車を我先にとゲットしに行っていました。そして,全力で三輪車を乗り回していました。小学生に上がってから,当時おなじ幼稚園に通っていた同級生から自分の話を聞くと,「お前いつも三輪車に乗って,女の子にきゃーきゃー言われてたよな」と口癖のように言われていたのを思い出します。自分は全くそんなつもりはなかったし,幼稚園児にそんな感情ってないだろ,と思いながら,もしかしたらあったかもとも思い,まぁどちらでもいいやという結論になっています。

小学生に上がる直前あたりに,両親が親戚にいとこから古い使わなくなった小さい自転車をもらってきました。補助輪がついていましたが,外して自分が自転車に乗れるように練習してくれたのでした。その甲斐あってか,比較的というか全く挫折することなくすんなり自転車に乗れました。その自転車には後ろに荷台がついていて,母親がそこを握ってバランスをとってくれていたのですが,いつのまにか手が放されていて,自分一人で乗っているというようなごく一般的(だと思う)な教え方によって乗ることができるようになりました。具体的にどんな自転車に乗っていたのかは全く記憶にございません。ごめんなさい。

小学生時代

小学一年生になったときも初めて乗った自転車に乗っていたと思いますが,その時の記憶は皆無です。小学二年生のときに,新しい自転車を買ってもらいました。そのころから機能でなくデザイン重視の指向だったのかなと思い返しています。新しい自転車を買いに,両親と自転車屋さんに行きました。量販店ではなく,その街の小さな自転車屋さんで個人経営という感じのお店です。両親が進めてきたのは,20インチの7談変速付きの自転車で赤色だった気がします。でも,自分はそのお店でとても気に入った自転車を見つけて,ごねました。自分は自分の家庭の経済状況はあまりよくなくて,かなり貧乏だったことは知っていて,いつもはそんなことは無いんですが,そのときだかは,ごねました。黄色と水色のツートンカラーでギアはシングル。リムはステンレスで,フレームはクロモリ,ハンドルはフラットバーでアルミ合金,メーカーはブリジストンで,値段は当時は知りませんでしたが5万弱。自転車にしてはかなり高い部類だと思います。でも,買ってくれました。小学4年生くらいまでは,ほとんど毎日自転車三昧でした。学校から帰ったら,約束の宿題をさっさと終わらせて,すぐに自転車にまたがって,近くの公園や海まで行ったり,友達のうちに遊びに行ったり,友達と一緒に自転車に乗っていました。また,あるときには,自転車でレースやリレーみたいなこともやったりしてました。

これだけ,毎日自転車に乗っていると,パンクがつきものです。実は,小学生のときは自分でパンク修理できませんでした。パンクしたときは,近くのバイク屋さんか自転車屋さんに行って,800円で修理してもらっていました。800円という額は当時の自分にとってはとても高い額でしたが,お小遣いやお年玉と両親からのカンパでなんとかやっていました。自分でパンク修理をするという考えができなかった自分が,いまとなっては情けなく思います。あ,でも,そういえば,何度かトライしたことはあって,要らなくなったチューブとゴムのりを買ってきて,トライしました。パンクしたチューブをタイヤから外して,空気入れで空気を入れます。さらに,水を入れた洗面器を持ってきて,チューブを水に浸して,空気が出ている箇所を特定して,ゴムのりと使わなくなったチューブから切り取ったパッチを当てて,直しましたが,日が経つとすぐに空気が抜けて,やっぱプロにお願いしないとダメなんだと諦めていました。お金をどうしても集めることができい状況だったとしたら,諦めずにもっと頑張っていたかもしれません。そういう意味で,お金って特に子どもに取っては,思考を麻痺させる麻薬のような作用もあるので,親としては注意したいですね。

小学生の高学年(5,6年生)になるころには,これまで乗っていた自転車は小さくなって,ほとんど乗らなくなっていました。代わりに,父がどこかからもらってきた,ドロップハンドルのロードみたいな自転車に乗っていました。どちらかというとランドナーに近いけど,形はロードといった風です。当時は,ロードなんて全然メジャーな乗り物じゃありませんでした。友達からは,よく「競輪」と言われていました。競輪とは違うということは,自分はわかっていましたが,めんどくさいから「競輪」で我慢してました。自転車のサイズが,小学生用じゃないため,乗りこなすのに相当苦労しました。当然足はつきません。フレームサイズは覚えてませんが,というか,フレームにサイズなんてあるのか知らなかった。ただ,ホイールのサイズは,700Cであるということは覚えていました。というのは,タイヤを交換しないとね,ということになったときに,自転車屋さんにも,勿論バイク屋さんにもおいてなくて,特別に注文しなければなりませんでした。しかも,1ヶ月くらいかかって,値段は4000円という。銀行にあずけておいたお年玉を引き出してきて賄ったのを覚えています。こんな,高級な自転車に乗っていたのかと実感して,ちょっとうれしくおもっていたのを覚えています。そのへんの自転車とは違うんだぞ!という高飛車なきもちで乗っていたと記憶してます。

中学生時代

地元の空手道場へ小学生から通っていましたが,バスケットボール部と駅伝部(各部から招集される臨時的な部)に入っていたため,2年生のときに,空手を一時お休みというか辞めました。また,暇ができたら再会して初段くらいはと思っていましたが,結局再会することはありませんでした。なので,2級という微妙な位置。もう一度やるのであれば,最初から出直しですね,体も鈍らですし。それでも,最初の方は,空手道場へは自転車で通っていましたし,休みの日にたまーに自転車にのって海へ行ったりしていました。部活をやっていると,休みの日も練習やら,練習試合やら試合,イベントなんかで潰れちゃいますからね。ちなみに,自転車部っていうのはありませんでした。危ない,というイメージがあるようで,なかなか学校の部活動では無い気がします。

高校生時代

まったく自転車には乗りませんでした。自転車の話を読みたいんだ!という方は,ここのパラグラフは無視してもらって結構です。 高校は地方でも上位の進学校で,受験に追われて,人生においてもっと考えるべきことだとか,もっと広い視点で考えていれば違う人生があったのかも,と今思い返していたりしています。でも,後悔はしていません。当時は,物理学者になりたくって,いい大学にいって,博士課程に進んでという目標がありましたから。また,その目標に対しての高校時代の取り組みは,大学で物理学を選考して物理を学べたというところまでは達成できているので,後悔はありません。でも,大学での期間を物理学者になるための時間として有効に取り組めたかといえば,NOです。自分はこれでこのスキルで,この専門で食っていけるというだけの経験と知識を身につけることができていないと思っています。それが,今の自分の不安定な心というか,何かやらねば,という一種の焦りにもつながっている気がします。と,いろいろと,自転車から外れたことを書いてしましました。失礼。

受験で疲れていたのでしょうか,それまで忘れていた自転車。ある日広告を見ていると,近くのホームセンターでMTBが1万円!という広告がありました。古いロードライクな自転車はもうかなり古くて乗るきがしなかったので,これを買って気分添加をしようと考え,買いました。MTBとは書いてあっても,「オフロードは走行しないでね」というシールがトップチューブに貼ってある,いわゆるMTBルック車でした。これを若さゆえの体力にまかせて,乗り回し,ストレスを解消したものです。今思えば,ルック車で結構むちゃな乗り方をしていたなぁと思います。

大学生時代

自分は体が少しだけ大きい方なので,大学に入った時のサークルへの勧誘でボート部からの執拗なお誘いをもらいました。いや,嬉しかったんですが,大学生活がサークル生活になるのをおそれていた僕は,サークルには入りませんでした。ひたすら本を読んだり図書館に行ったり,あとは友達を出かけたりと。同じ高校から進学してきた友人がいました。しかも,高校のときは同じクラスだったため,かなり仲良くなりました。彼は,サイクリング同好会に入って,山崎パンの工場で一生懸命バイトをして,25万くらいする白いかっこいいロードを買ったのでした。コンポは,105だと言っていたきがします。このときに,自転車のパーツにグレードがあって,SHIMANOという自転車の部品メーカ(自転車の部品のみで自転車自体は作っていません)があるということを知ったのでした。Dura AceとUltegraと105とTiagraが選択肢としてあったらしく,レースにでるなら105よりも上のグレードのパーツじゃないとダメだということで,105にしたようでした。

自分は,というと,高校時代に買ったルック車にいまだ乗っていました。大学は県外でしたが,引っ越しするときに自転車も持ってきたのでした。ママチャリを買うくらいなら,これを持っていくというノリで持っていったのでした。高校時代にひどい乗り方をしていたせいもあってか,しばらく乗っていると,ブレーキが壊れました。しかも,壊れたタイミングが下り坂+カーブの箇所で,一歩間違えば死んでいたと思います。ブレーキを掛けた瞬間,ブレーキワイヤーをYの時に分割している箇所の金具が分解して,「す〜」っとなりました。その次の瞬間坂道カーブのアウターにあるコンクリート製の壁に激突して,ちんぽこを強打して悶たのでした。これがきっかけで,新しい自転車を買おうと決意します。

で,ちゃんとしっかりした自転車を買おうと思って,自転車屋さんに行きました。5万円おろして。小学生のときに新しい自転車を買ってもらった時の感覚がフラッシュバックしましたが,やはり,ここでも,デザインで選びました。選んだのは,Louis Ganau綴りは間違ってますが,ルイガノでした。オレンジ色のビビッドないろでかなりいけてました。MTBでしたが,タイヤを細いスリックタイヤにしてもらって,ガンガン走ってました。福岡と長崎を往復したりもしました。片道大体220キロくらいです。ここら,自分の(ちょっとだけ)本格的な自転車ライフが始まることになるのでした。

以上。 #文章を書いているとああいうこともあったな,こういうこともあったな,とどんどん書きたいことが増えてきました。今回はとりあえずここで一段落つけて,また思いついたら筆を取ろうかと思います。最後まで読んでいただき感謝します。それでは。また。

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